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第二章 父の死

Auteur: 雫石しま
last update Date de publication: 2025-07-22 06:59:48

―二十年前

萌香と翔平は幼馴染だった。同じ幼稚園に手を繋ぎ通っていた。翔平は泣き虫で、萌香がその頭を撫でて微笑んだ。僕、お父さんがいないんだ。翔平の父親は若くしてガンで亡くなっていた。

「寂しくないよ、萌香が翔ちゃんのお嫁さんになってあげる」

萌香は、青くさい草の匂いがする三つ葉のクローバーで指輪を作り、その指にはめた。

久我の母親と翔平は、萌香の実家、浅葱家と家族ぐるみで付き合い、賑やかな日々を送った。翔平は息子のように可愛がられ、萌香は彼を兄のように慕った。やがて二人は恋人として手を繋ぎ、桜の樹の下でキスを交わした。けれど、その幸せな時間は花びらのように散ってしまった。

三年前、萌香の父親が運転する車が崖下に転落した。助手席には翔平の母親が乗っていた。二人は即死だった。警察の現場検証で父親のスマートフォンが見つかった。そこには俄に信じられないメッセージが残されていた。

(私たちは真剣に愛し合っている。全てを捨て)

文章はそこで途切れていた。ただ、萌香の父親と翔平の母親が不倫関係にあり、駆け落ちを試みようとしていたことは明白だった。交通事故の一報を聞いた母親は脳溢血を起こし、救急搬送されたが昏睡状態に陥った。

涙のような小雨が降っていた。読経が響く寺院には、大手製薬会社CEOのご母堂の葬儀ということもあり、多くの参列者が列を成した。

「この度は、ご愁傷様でした」

萌香は、翔平の母親の遺影を見上げ手を合わせた。白い菊の祭壇で微笑む彼女は優しく、涙が込み上げた。焼香をする指先が震え数珠が音を立てた。萌香が翔平の前に進み出て深々とお辞儀をすると、翔平は萌香の襟首を掴み上げた。

「俺はおまえたちを、おまえの父親を許さない!」

「ご、ごめんなさい!」

翔平は、雨の回廊に萌香を叩き出した。その目は怒りとも悲しみともいえない色をしていた。萌香は雨に濡れながらも跪いて、父親が犯した罪を謝罪した。

「ごめんなさい!翔平くんごめんなさい!」

翔平は踵を返し、無言で振り向くことなく葬儀場へと入って行った。大丈夫ですか?萌香は葬儀係員から差し出された白い傘を受け取り立ち上がった。ありがとうございます、お騒がせしました。白い傘は足取りも重く、鉛を引き摺るように寺院を後にした。

そして、葬儀から四十九日が明けた頃、曇天から一筋の光が差した。

萌香は父親の位牌を手に、自宅の座敷に座り込み仏壇を眺めていた。自分の父親の死も、身が引き裂かれそうに悲しく、大声をあげて泣き叫びたかった。けれど、父親のように慕っていた男の裏切り、母親に見捨てられた翔平の悲しみを思うと、不思議と涙は出なかった。

不意にインターフォンが鳴った。弔問客かと思いモニターを覗くと、そこには黄色い菊の花束を持ったスーツ姿の翔平が立っていた。

「萌香、いるか?」

「しょ、翔平くん!今開けるから!」

座敷テーブルに座った翔平の表情は、葬儀場で見せたものとは真逆で、穏やかな顔をしていた。これ、おじさんに。黄色い菊の花束を供えてくれと萌香の手に手渡した。

「あ、ありがとう・・・」

いつもと変わらぬ翔平の笑顔に、緊張の糸が切れた萌香の目頭が熱くなった。ポロリと溢れる涙に、翔平は優しい微笑みを湛え、指ですくった。

「萌香、俺と結婚してくれないか?」

「・・・・え?」

翔平は萌香の震える手をとって肩を抱いた。その目は深い森のように穏やかで、父親が起こした罪すら包み込むような慈愛に満ちていた。

「俺が君を助ける。一緒にこの苦しみを乗り越えていこう」

「翔平くん・・・」

「お義母さんの医療費も俺が負担する、心配することはないよ」

翔平は、久我製薬株式会社のCEOを務めていた。母親の高額な医療費の支払いに途方に暮れていた萌香にとって、それは有難い申し出だった。けれど、こんな自分が幸せになっていいのだろうか?戸惑う萌香の耳元で翔平が囁く。

「萌香、俺には萌香しかいない」

その瞳に嘘偽りはなかったが、萌香は葬儀場での一件もあり、返答に戸惑った。

「翔平くん、ありがとう。いいの?こんな私で」

「萌香だから、いいんだよ」

どうしても萌香がいい、萌香しか考えられない。悩んだ挙句、萌香は翔平のプロポーズを受け入れた。

(萌香でないと意味がないからな)

けれど翔平の笑顔の裏側に、萌香とその母親に対する激しい憎しみと葛藤が芽生えていることに、彼女はまだ気付いていなかった。

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